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泉の森自転車店
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 和歌山機関区をあとにして最初の停車駅、田井ノ瀬に着いた。
私鉄しか乗ったことのない私にとってはこの駅はローカル線というにふさわしいほど風情が感じられる。
 田井ノ瀬駅を発車した430Dは、この様な小駅にとまりながら東へと進んだ。
8時36分、430Dは船戸駅に到着した。
この駅で下り列車と交換したのち、8時42分に船戸を発車した。
列車は左へ大きく向きを変えて紀ノ川を渡る。
ローカル線としてはなかなか立派な橋である。
橋の途中で列車は突然急停車した。
「何が起こったのだろうか。」
乗客の中の数名が窓を開けて外を見る。
それに従って私も外を見る。
鉄橋の側道に自転車にまたがった子供がいた。
その子供はあわてて橋を渡って逃げていった。
 橋を渡って右に大きくカーブすると、列車は岩出に到着、息つく間もなくまた発車、景色も単調なので外を見る人はほとんどいない。
見ているのは私達ぐらいだろう。
 名手駅で下り列車と交換。
この駅の北東1.5kmの所には華岡青洲の遺跡がある。
 和歌山線には無人駅が沢山ある。
和歌山から五条までの24駅中、10駅が無人駅でそのほとんどが列車のはしからはしまでホームがかからない。
したがって後ろ2両はホームがかからないという駅もある。
 430Dは南海電鉄高野線との接続駅、橋本に着いた。
高野線は真言宗の総本山で、金剛峰寺などが有名である。
私も小学校の林間学校の時にバスで行ったことがある。
本日の同行者はその時の級友の一人で、私と同じ汽車好きである。
 橋本駅を発車した430Dは、紀ノ川に沿って走り、9時49分、1時間34分かかって五条駅に到着した。
地下道を通って改札口に向かった。
和歌山→五条の切符がほしいので、改札係に「切符を集めているのですけど、この切符頂けませんか。」
と頼んだが一言。
「あかん。」
と言われた。
切符はあきらめて今度は記念スタンプを押すことにした。
駅員に「どこにスタンプ置いているのですか。」と聞くと。
「あそこだ。」と指をさす。
小荷物の窓口の所に置いていた。
ノートにスタンプを押すと日付けは53年11月3日となっていた。
 駅を出てみると、右手に国鉄バスが何台か止めてあった。
左手にはバスの待ち合い所の様な所があり、時間表がかかっていた。
次の東富貴行きのバスまで1時間以上もあるので、五条バスセンターまで歩いて行くことにした。
 路地を通って5分程で五条バスセンターに着いた。
ここにはみやげ物屋もあるし、切符の販売機もある。
友人の老木君はこのみやげ物屋で「柿の葉寿し」という柿の葉っぱにまかれた寿しを買った。
 この建物のそばに車庫があるのでのぞいてみると、その中に大型バスにはさまれて小さなボンネットバスが一台置かれていた。
ここまで来て「ボンネットバス」がなかったらどうしようと不安になっていたので、健在を知って安心した。
 バスが来る時間が近づいたのでのりばで待っていると自転車に乗ったおっさんが寄って来て色々と話しかけてきた。
話の内容は「ここに何しに来たんや。」
「この帽子いくらした。」
「今、中等科行っとんか。」
「何年生や。」
といったように点々バラバラな内容で、おっさんは、今でも旧制中学があると思っているらしい。
頭の中は30年か前と全く変わってないようである。
 五条市には、ボンネットバスは走っているし、けったいなおっさんはいるし、なかなかユニークである。
おっさんが自転車で消え去ったのと入れかわりにボンネットバスが姿をあらわした。
 このボンネットをつき出したボンネットバスはいすずBXD30型、昭和41年製造という古強者で、定員45名全長10.6m全幅2.5m全高3.08mとかなり小型である。
走行距離が10万Kmを超えているのにはおどろいた。