石氷庫を後に坂道を下ると、仏国寺に行く時バスで通った広い道に出て来た。道を渡った反対側に雁鴨池の入り口が見えている。かなりの道幅なのだが信号が
無く、反対側に渡りたくてもなかなか渡る事が出来ない。5分ほど待ってようやく車が途切れたので、急ぎ足で反対側へ渡る事が出来た。
入り口で入場料1000ウォンを払って中へ入る。ここ雁鴨池は新羅第30代文武王によって647年に造成された離宮の庭園である。離宮内には人工の池が
掘られ、そこに臨海殿が建てられている。かつては1000人もの人が収容出来る広さがあり、外国からの貴賓をもてなし宴会が開かれていたと言う。
その臨海殿が広場の先に見えている。夕方6時を過ぎているが日は高い位置にあり日没までにはまだ時間が有りそうだ。広場を通り池の畔に建つ臨海殿を目指す。
臨海殿の前まで来ると3人組の学生が三脚を立てて写真撮影をしていた。彼らはしきりに私の持っているカメラを見ている。私は普段、コンパクトデジカメを
使っているのだが、ここぞという景色の良い所では一眼レフを使う様にしている。その使い古したマニュアル一眼レフが気になっている様子だ。彼らは手を止め
て私がシャッターを切るのを待っている。私がシャッターを切ると「いい音だな。」そう言って仲間と話し合っている。
以前、韓国に来た時、写真屋に並べられた日本製の中古一眼レフの価格に驚いた事が有る。韓国では5年ほど前まで日本製の贅沢品は輸入規制されていた様
だ。それ以前、恐らくソウルオリンピックの頃に日本人が残していった物であろう、それらは希少価値が付けられて売買されているのだ。
ニコン製のチタンボディーのマニュアル機に、ソウルオリンピックのオフィシャルストラップが付いた私のカメラは、彼らにとって羨望に値するのだろうか。
경주 임해전지
사적 제18호
소재지:경상북도 경주시 인왕동 26-1
이곳은 통일신라시대 별궁 안에 있던 것으로,안에는 임해전을 비롯한 여러 부속 건물과 정원이 있었다.신라문무왕14년(674)에 궁 안에 못을 파고 산을 만들어 화초를 심고 귀한 새와 기이한 빔숭들을 길렀다.
임해전은 931년 경순왕이 고려 태조 왕건을 위하여 잔치를 베풀었다는 등의 기록이 남아 있는 것으로 보와 군신들의 연희나 귀빈 접대 장소로 이용되었음을 알 수 있다.
못 이름은 원래 월지 였는데 조선시대에 페허가된 이곳에 기러기와 오리가 날아들어 안압지 라고 부르게 되었다.
1975년 준설을 겸한 발국조사에서 신라때 축토된 보상화문전에 새겨진 기년명으로 궁궐의 축조 연대를 확인할 수 있었다.
임해전은 별궁에 속해 있던 건물이지만 그 비중이 매우컸던 것으로 보이며,안압지는 신라 원지를 대표하는 유적이다.
慶州 臨海殿址
史跡 第18号
所在地:慶尚北道慶州市 仁旺洞 26-1
ここは統一新羅時代の離宮内にあった物で中には臨海殿をはじめとする数多くの附属建物と庭園があった。
新羅文武王14年(674)に宮中に池を掘り、山を造って草花を植え、珍しい鳥と奇異な動物がいた。
臨海殿は931年敬順王が高麗の太祖王建の為に祭りを催したというなどの記録が残っている事からみて、君臣達の宴会や貴賓を接待する場所に利用されたことが分かる。
池の名は元来、月池と呼ばれ、朝鮮時代に廃虚になり、そこに雁と鴨が飛び込んで来た事から雁鴨池と呼ぶようになった。
1975年に浚渫を兼ねた発掘調査で新羅時代に築土された雁鴨池の姿をおおよそ確認出来、臨海殿址で出土した宝相華紋典に訳した紀年銘によって宮廷の築造年代を確認する事が出来た。
臨海殿は離宮に属していた建物だが、その比重が非常に大きかったと見られ、雁鴨池は 新羅苑地を代表する遺跡である。
雁鴨池の夕日は実に素晴らしいものであった。世界遺産に指定されるにふさわしい絶景である。行く当ても決めず始めた旅だというのに、何と幸運に恵まれているのだろう。
雁鴨池を出てからもその余韻は残っていた。バスに乗ってターミナルに戻ろうかと考えたが、財布の中を見ると小銭は900ウォンしかない。両替すれば済む話しだが何故か歩いてみようかという気になった。
夕暮れの舗道をひたすら歩き続ける。途中、交差点の角にバイク屋が在った。125ccクラスのアメリカンが主流のようだが、中にかなりの改造を施されたバギー車が並んでいた。
交差点を渡り月城大公園の方角へ歩き出すと、背後から先ほどのバギー車がけたたましい爆音を上げて走り抜けて行った。よく見るとナンバープレートも付い
ていない。この国には束縛という物は無いのだろうか。いや、2年以上の徴兵制が有り、自己責任の下で自由が認められているのだろう。大排気量車は走ってい
ないが、改造車は徹底的に改造されている点が中途半端な日本との大きな違いだろう。
大陵苑の入り口が見え、道なりに進んで行くと右手に韓定食で有名なウォンプン食堂が見えて来た。通常こういった店は家族連れもしくはグループで入るものだ。一人旅の私には少々敷居が高い。無理をして二人前を平らげる自信もない。残念だが連れが居る時に持ち越す事にした。
日は傾き辺りが薄暗くなって来た。ひたすら道なりに歩いて来たが、行けども街の広い通りが見えて来ない。それどころか、どんどん郊外に進んでいる様だ。
とうとう道の両脇に家らしき物が見えなくなってしまった。日の沈んだ方角を考えると、一度右に進路を変えなければならない筈だ。そうこうしている内に道は
右に90°折れ曲がる形でカーブに差し掛かった。何となくこの道がバスターミナルの裏へと続く道の様に感じて来た。
左手に河川が見える。バスターミナルの先に橋が見えていたので方角は間違っていない様だ。遙か彼方に街の光が見える。街の光を目指しひたすら歩いてようやくバスターミナルに辿り着いた時には辺りはすっかり暗くなっていた。とにかく無事辿り着く事が出来ほっと一安心する。
部屋に戻り下着を着替えて宿の食堂で夕食を取る。私の他に客は無く、1人で食事をしていると食堂のおばさんの旦那がやって来た。一見怖そうな顔をしているが、おばさんと一言二言話した後、ご飯のお代わりをサービスしてくれ、おまけに味付け海苔まで持って来てくれた。
「美味しいか?」
「はい。」
旦那は嬉しそうに笑っている。